ぐるりのこと

世界で絶賛された『ハッシュ!』から6年、橋口亮輔監督が080604_gururi.jpg
またもやとんでもない傑作を誕生させた。
主演は木村多江とリリー・フランキー。これは彼らの演じる夫婦が幾多の苦難を乗り越え、ともに再生への道をたどる10年間を綴った物語だ。

時代背景となるのは1990年代。美大出身の夫はTVニュース用に裁判をスケッチする”法廷画家”という仕事を譲り受け、妻は書籍編集者として働いている。お金がなくて先行きが不安でも、おなかの中で育つ新たな生命のことを考えると、言い知れぬ幸福感を噛み締めずにいられないふたり。しかし赤ん坊は生後まもなく天国へと旅立ち、彼らは茫然とした空虚の中に取り残されてしまう。

それでもいつもどおり飄々とふるまう夫。
喪失の痛みで追い詰められていく妻。

観客にとって心の痛む時間が続く。と同時に、夫の法廷画家という特殊な職業が、観客を90年代の深刻な社会の病巣にも真向かわせる。バブル崩壊、児童殺害事件、地下鉄テロ…時代の傷痕が次々と蘇る。人間はこんなにも精神的に脆い生き物で、ちょっとしたことをきっかけにとめどなく崩壊していく。その大波に飲み込まれるように、この夫婦にも深刻な瞬間が訪れる。しかし…

『ぐるりのこと』は決してこのままでは終わらない。

このあと堰を切ったようにとことん溢れ出す夫婦の感情が、この映画を奇跡的な次元にまで輝かせていくのだ。それは彼らがこの10年間で失ったものを取り戻していく過程でもある。あせらず、ゆっくりと。狂っていた時計の針は徐々に確かな鼓動を奏ではじめる。この夫婦の神々しいまでの再生に、何度も何度も嗚咽しそうになる自分がいた。

そして映画が終わったとき、観客はリリーさん演じる「佐藤カナオ」という男の本当の”強さ”を知るだろう。一見どこにでもいそうな、いつも飄々と取り留めのないこの男性が、みんなが右往左往してた時代にずっと穏やかな表情でいつも同じ場所に留まっていられた事実---

伸し上がっていくことだけが成長ではない。僕らは日々「いつも変わらずそこにあるもの」に救われながら生きている。きっとカナオのような人がひとりでも多く広がれば、この日本ももう少し”確かな優しさ”で満ちていく。そう強く感じさせる映画だった。

http://www.gururinokoto.jp/
6月7日、シネマライズ/シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
(C) 2008『ぐるりのこと。』プロデューサーズ

【映画ライター】牛津厚信


カテゴリー: 日本 | 映画レビュー

2008年6月4日 by p-movie.com